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  デイアスポラ無形文化遺産としての「空手」

〜 沖縄「手」のルネッサンス考 〜

               山口 剛正

全米空手道剛柔会本部 主席師範

 

 「群盲、象を評す」という寓話がある。めくらの集まりが見たこともない象に触れて、感触で象を認知しようとする話であるが、「カラテ」を外国人に解説するに当たって、利用してもらっている。所詮、知識というものは自分の知覚で、確認するもので、「確認する」という経験のできていないものでも、たとえば象を正しく認知するのであれば、鼻、耳、足、尾、腹の感触を、自分の手でくまなく触ることで、ほぼ正しい「象」を理解することができるはずだからである。「群盲、象を評す」を否定的に解釈するのは必ずしも正しくなく、物の「本質」を「見かけ」から認知する方法も、不完全ではあるが、不可能ではない。

 ある空手道関係の商業月刊誌に、ぼくのインタヴューが掲載された。録音された対談が文章になると、話したことのテーマに断絶が目立ち、舌足らずになったり、孤立してしまったり、意味不明になってしまうものである。自分の話したことを自分自身の言葉で書き直し、清書したくなった。編集に頼み込んであらためて、ぼくの雑談の所見を正しく、披露させて戴くことにした次第である。

 「カラテ」を学問の教材として、アメリカの大学で教えるのがぼくの課題だった。

  ぼくがサンフランシスコに来たのは一九六四年六月,東京 オリンピック直前のこと、アメリカン・プレジデント・ラインのクリーヴランド号でだった。あの頃の客船はショーボート紛いの観光船で、丸二週間船内でのカーニヴァルを楽しませてもらった。その船に日本帰りのアメリカ人の男性ひとりが同船しており、ぼくが日本人だと知って、しきりに、話しかけてくる。何か日本文化芸道のエキスパートだと言って、自己紹介をするのだが、その芸道なるものが何のことか、ぼくにはさっぱり分からなかった。渡米前は、ある区立の中学で英語を教えていたから、英語は少しはわかるつもりだったが、何ぶんとも、会話の方はピジョン・イングリッシだったので、アメリカ式の発音が理解出来なかった。その先生、ぼくの、応対が芳しくなかったんだろう、それを限りに、ぼくに話しかけることはしなくなったのだが、驚いたことに、渡米後ひと月ほど後のこと、ぼくが主宰したサンフランシスコ市のカラテ大会で、再会した次第である。ぼくは驚いた。彼氏はカラテの師範だったのだ。

ぼくは旧来の友人にあった様に握手を求めたところ、すごく、怒っているのに気がついた。ぼくが「嘘つきだ」というのだ。言われてみれば、たしかに、なんかのエキスパートで、それが、「クワラデイ」とかナントカ、ぼくの知りようもない 芸道とあって。そんなもの「知らない」と、言ってしまったのかもしれない。悪気はなかったつもりだが、怒られて、その時の気まずい思いを、終生忘れることができなかった。

 それから半世紀、ある朝、大学のジムで、授業の始まる前に、軽く、自分の準備運動をしていたら、ひとりの学生が近づいてきて、あんた何を教えるのかと聞いた。

「カラテです」と、ぼく。

「カラテ?」

「そう」

「カラテ?」

「うん」

「カラテって何?聞いたことないな」

 そこで、例のセンセイのことを、ぼくは思い出した。

「クワラデイって聞いたことある?君」と、ぼく。

「もちろん。クワラデイなら知ってるよ。ぼく、子供の頃、クロオビだったんだ」

「空手」はアメリカ人が発音すると、クワラデイと、少なくとも、日本人の耳には聞こえる。 と、いうことは「KARATE」を日本式に、カ・ラ・テ、とはっきり発音すると、彼等には「空手」と聞こえないのである。二人の人間が共通の話題をテーマにしていながら、母語が違うために意思の交換に支障が起きるということだ。

いまひとつ。英語を日本語に記述するに当たって、ローマ字の五十音を制定したのは、宣教師ヘボン博士だとして知られている。このヘボンという姓の原語がわからない。つまり、同博士のラストネームの英語のスペルが知られてなかった。実はヘップバーンだったのだが、日本人にローマ字読みの日本語はヘップバーン博士が制定したと言っても、すぐ納得する方はそんなにたくさんいないだろう。ぼくの年代の日本人にはヘボン博士とヘップバーン博士が同人物だという判例がなかった。いまならば、映画「ローマの休日」のオードリ・ヘップバーン、同「アフリカーン・クイーン」のキャサリン・ヘップバーンの例があるから、ヘップバーンの姓は聞きなれている。しかし、だから、オードリ・ヘボン、キャサリーン・ヘボンと呼んでしまっては時代錯誤になってしまう。

だから、「クワラデイ」に聞きなれている、アメリカ人学生に、それは間違いだから、「カラテ」と言いなさいと説教するのは正しいことではない。但し書きつきで丁寧な説明をしなければならなかった。

文化体系を総称する固有名詞ですら、言語文化が違うと言語学的な変革が生じ、誤解のもとになるということは、その体系の「見かけ」から「本質」を的確に把握することがさらに困難になってしまうことである。手で触るという、生理的な感触とは次元の異なる、メタフィジカル(形而上学的)な分野の問題になってしまうだけに始末に終えない。

「カラテ」は那覇手、首里手、泊手の名で知られたように、琉球に温床、改良されてきた、体技「手」を、日本国政府が、戦前は武徳会、戦後は体育協会の傘下に組織してきたものである。勿論、「手」には中国大陸沿岸の都市に発達していた、内家、外家の拳法、さかのぼれば、インド、メソポタミア、ギリシャの古代文化にその発祥が見受けられる体技の一部であるものの、武道という日本独自の体系になった、カラテは沖縄の「手」を基礎にしたものに他ならない。

もちろん、類型からするならば、インドから伝播されたヨガが変身して中国武術の外家拳の一派、少林拳。あるいは別派、内家拳の太極拳等などを含めて、共祖母体と解釈できる。古代オリンピックの種目として数えられているパンクラテイオンは壁画から想像してもカラテと同じ格闘技といえるし、これが、西暦前九百年代に体系化していたことを思えば、世界最古の文化として知られるシュメール文化時代まで発祥の歴史は遡るのは確実だろう。   

徒手空拳の格闘術は道具を手にする人類発祥以前からの体技だったはずである。ただその業が系統的に体系化されてなかっただけであるが、身体のすべてを応用、選択肢化すること、独自な技の考案と企画性のある鍛錬法に基づいて、組織付けられるのは時間の問題で、舞踏、演劇同様、歴史前から存続してきた最古のパフォーミング・アーツのひとつだったと考える。

  武術の演武と舞踏の演舞には根本的な相違がある。演武は演舞と違い観衆を対象にしたパフォーマンスではない。つまり、見世物ではないはずである。自ら鍛錬した護身の力を披露することは護身の目的と矛盾するのは考えればわかることである。

しかし、人類の特徴はクリエイテヴィテイ。創造、もしくは造型本能に結びつく知性が秀でていることである。ただ、殴る、蹴る、投げるという技術を考案するだけではなくして、その動きや行いに美的感覚と、体育学的効能、ひいては道義的な哲学、思想を装わせて、その体系を正当化してきた。公衆の前でこれを披露する、という心理的な動機も人間の本性である。

西洋のジュウデオ、クリスチャン、モスレムの文化圏で温床されてきた格闘体術と、仏教の文化圏で発展した武術には体質的な違いがある。すなはち、護身を正当化する闘争自体に解釈の違いがあるということだ。

沖縄の「手」の先覚者たちは口をそろえて、「忍耐」という精神的な訓練を説いた。「忍」の一字は沖縄の武術「手」を象徴する思想である。戦前、戦後のカラテ部の学生が「押忍」(オス)を連呼して、そのアイデンテイテイを衒って見せたのもその教訓故のことだった。

一方、西洋の格闘技には、対決するという闘争の動機にこだわる思想はない。戦闘そのものを肯定して実施されるべきだから。だから相手を倒して勝利を得ることが究極の目的になる。

「競技なのだから、勝たなければならない」という、感覚はすなはち西洋のスポーツ一般に共通する目的意識なのである。

一方、「人を打たず、人に打たれない」ための体術だと考えた沖縄の人たちの「手」は、わざと勝負に負けても、相互が心身ともに傷つくのを阻止することで、評価される。

どちらが正しく、間違いだというのではない。理解の違いを指摘しているつもりである。

「強者」、「弱者」間の階級闘争と経済的帝国による植民地政策が弱き国の労働を搾取して、グローヴアリゼーションという経済機構が想定され始めた現代では、中央集権の権力支配者がローカル(地域機関)を犠牲にしないように、その独自な特殊性を保護しようとする意識が評価される時代になった。

琉球で育成された自己保全の感覚は、現代の世界に必然欠くべからずの、思想ではなかったか。

この思想はどこから始まったのだろうか。

「彷徨えるユダヤ人」のことばで知られる、ヘブライ民族の古代北イスラエル王国は紀元前七百二十一年、南のユダ王国は同五百八十六年にアッシリアと新バビロニアに侵攻されて捕囚の民になった。その後解放されたものの、その多くがヘレニズム諸国を変転と移動する移民となって、異国に寄生する共同体をつくりあげたが、これがデアスポラである。デアスポラとは、母国を離れて異国にすむ少数民族が背景にした社会的環境でもある。

デアスポラという社会的空間に生息するもののには、基本的な人権と自由がない。自分を含めて、家族員の生命を守るために武器を所持することは許されない。為政者に従属しないものは処罰される。奴隷にひとしい。

沖縄はかって琉球という王国だった。ところが一六〇九年薩摩藩の島津氏の侵攻を受け、敗れて首里城は開城させられる。それ以後、独立国家とはいいながら、明の冊封国、薩摩藩の付庸国という他国の為政に従属しなければならなかった。言語文化はもとより日常生活の慣習を他国に学び、自己のアイデンテテイを細々と守ると言うダブルスタンダードの精神生活を送った。

武器を備えることは違法となるから、徒手空拳の体術を考案して身を守るほかなかった。。

ヤマト政府は一八七一年、廃藩置県を実施するに当たって、琉球王国の領土を鹿児島県の管轄、翌年はこれを琉球藩、そして一八七九年には沖縄県とした。これが琉球処分である。

ちなみに明治政府による国民皆兵を目指す徴兵令が発布されたのが一八七三年。当然、沖縄県民は日本帝国民として同制度を義務付けられた。

那覇手、首里手の創始者といわれる先覚者がこぞって中国福県省、福州にわたり、中国拳法の各派を研修したという時代と重なるのは決して偶然ではない。お仕着せのヤマトん衆の兵役に服することが如何に不条理なることか一目瞭然であろう。

ぼく個人の話で恐縮だが、渡米後結婚して、アメリカの永住権をもらってから、一番怖かったのは、いつ何時、米国合衆国政府から徴兵令がくるかもしれないことだった。渡米したときが二十九才、さすがに歳をとりすぎていることが幸いして、徴兵はまぬかれたが、訪問中の異国の地で兵役に従事しなければならない制度はいただきかねた。ヴェトナム戦役の泥沼にもがいたころの米国である。いくらお世話になっているアメリカの為とはいえ、ベトナムくんだりまで死にに行くつもりがあるわけがない。

沖縄手では自由組手の稽古を許さなかった。一拳必殺を目標に技を磨くのであれば、組み手は剣の試し切りと同様、邪道に等しい。突き、蹴りの威力を意識的に緩和して、適当に実戦をまねて技を試してみようと考えたのは乱取りを競技化してみたくなったヤマトん衆である。

関西、関東の大学でカラテ部の学生が好んで始めたプログラムは、幸か不幸か、敗戦後はマッカーサー司令部思想課のパージを受けた各種の武道団体が解散を命じられたとき、カラテは徒手空拳のスポーツだからというので、競技運動に体質を変えることで、存続することがゆるされた。皮肉な話である。

空手に「実践組み手」の練習を取り入れて、柔道、剣道を見習いながら競技化するという考えは、当時、新鮮な「体質改善」案として普及し始めていた。「寸止め」の技術を強調して、防具を着用しない「試合規定が」考案され、流派別の選手権大会が挙行されはじまる。一九五〇年に入ると、大学間の対校試合、さらには流派間の交換稽古が相次ぎ、やがて任意の学生連盟が結成され定期的な関西、関東、そして全国の選手権大会も実現した。

「流派の壁」を取り除き、「大同団結」、空手道を日本政府公認の全国的単一団体にまとめ、国体を見習って、恒例の全国選手権大会を施行しようという創案はじつは、従来の個性ある各流派に残っていた、沖縄手を日本国政府公認のアマチュア体育としてユニフォーム(制服化)する姑息な解体であった。

各派、流派、道場ではそれまでは複雑に多様化されていた練習法や形に至るまで、大同小異の取捨選択が始まり、指定形、試合規定の単一化のために、競技スポーツ空手はまったく新しい体系となってしまったものだ。これはもはや、沖縄発祥の日本伝統の空手ではなく、西欧のアマチュア・スポーツ体系を模倣した体育文化でしかない。

言葉を変えて言うならば、沖縄の郷土遺産が日本国伝統として、ハイジャックされるようなものだった。当時の沖縄の先生方はさぞかし心外であったことだろう。強靭な反対の声が聞こえなかったのは「忍」の精神ゆえだろう。

日本は明治維新以来、西洋に追いつけ、追い越せという文明開化、政治哲学にとらわれて、、西欧の政治、経済、文化体系を模倣してきた歴史がある。

たとえば柔道の嘉納治五郎である。オリンピック・スポーツを紹介して、西洋の体育と思想を普及した教育家でもある。柔道の前身、柔術は、空手と同じく中国の武術を母体にした、投げ、打ち、逆手と幅の広い体術だったのが、投げ技と寝技だけのスポーツになった。日本伝統の柔道を世界の柔道に育て上げた氏の功績は大である。しかしながら、体術の技を単一化する段階で、失われた多様性の損失も大であったことも忘れ去られるべものではない。

サンフランシスコに福田敬子という高齢な柔道家がいらっしゃる。天神真楊流柔術師範、福田八乃助の孫娘であるが、彼女の教える柔道は競技スポーツ柔道とは異なり、医学、体育学、機械工学を織り込んだ、まことに奥行きの深い体技文化遺産である。

その伝統的な文化遺産が日本の国外に残されている事実は興味深い。

 

今アメリカでは色とりどりの空手衣に身をまとい、組み手の試合、形の試合が流行している。映画「カラテ・キッヅ」で見られるとうりである。

文頭の「群盲、象を評す」のごとく、観客を動員して行われる競技化された空手も、空手の一部である。しかしそれだけが空手では決してない。空手は今後も世相、政治とともに変わっていくことであろう。

その変遷の過程を観察するに当たって、自己保全の原点に戻って、弱きもの、虐げられし民族が生き延びていくための、知恵と対策の文化遺産であったことを認識してみるのも必要なことであろう。沖縄手のルネッサンス、文芸復興の必要性も理解されるべきだと思う。特色ある郷土性、地域性、そしてその歴史が葬り去られたのは、西洋の形而上学的体系の方法論が、それを必要のない膠着物と判断したからである。

 西洋に、「樹木には根があり、ユダヤ人には脚がある」、という言葉がある。

   日本の、「寄らば大樹の陰」という諺のとうり、樹木は大きい程、たよりになると思われたことがある。底の深い根が、がっしりと大地に張る大木の枝葉が、空高く聳えている。それが、伝統ある祖先伝来の家系であり、国体であるという誇りに繋がる。西洋の形而上学には、樹木をモデルにして、ひとつの現象、思想、体系を本幹にして、枝葉末節に展開して系列するという図式を構成した方法論があった。

 たとえば、「国」の概念である。

 ユダヤ人には自分の国がなかった。つまり「ルーツ(根)」のない民族だということである。「水草の民」(ワンダーリング・ジュウズ)ともよばれた。だから、「樹木には根があり、ユダヤ人には脚がある」という言葉は、不動の巨木ではなくして、世界を脚で跨いで歩ける特別な超力を持つことを指摘した言葉でもある。ルーツを持たない民族の自己の再評価でもある。

 都市、国家は不動で大きい事がその価値評価になる。しかし、遊牧民の生活は一カ所に定住すること無く、水と新緑を求めて、家畜と共に移動していく必要性がある。ユダヤ人はその祖先がノーマデック(「遊牧の民」)だったという歴史が、その民族が土地に定着しなかった理由にもなる。

 竹林の径根みたいに、地下浅く平面上に網のように広がる、「リゾーム(地下根茎)」とよぶ、組織あるいは構成体をモデルにした、新しい哲学用語がある。ルーツの深い文化を尊び、古典的な構成体に思考法、伝統的な西洋の形而上学の概念に対抗する。ジル・ドウルーズおよびフェリックス・ガタリの共著『千のプラトー』の序文で紹介された。主体、従体、亜流という「本質」に拘らず、節々からなる体系を作り上げて、それに組みこまれないものを排除してきた西洋哲学とはことなり、発想の転換をさせるという改革が評価される。  

イタリアの政治学者、アントニオ・ネグリが提唱するところの、「グローバリゼーション」、あるいは「主権の形態」という理論は日本でも認識されてきた。

ぼくはこの新しい感覚で、未来の空手像の考え方を提示したいと思っている。

文頭に紹介した「群盲、像を評す」のごとく、動員した観衆を前にして行う、競技スポーツ空手は間違いなく、空手(の一部)である。しかし、そればかりでは決してない。オリンピックの種目になることを目標として、流派の特色を摘み取り、体質を簡潔化、一枚岩の組織体にしたのも、結構であった。しかし、発芽したはずの径根を整理したために失われた損失の大であったことも銘記されなければならない。

  姑息な例であるが、たとえば、忍耐の「忍」の概念である。「忍」には下に「者」をつければわかるように、思いがけない、感覚を裏面に持っているのである。表裏の表を主体、裏を付属意と解してしまっては、古典的な誤りにおちいる。裏もまた表と同等の径根と解釈するならば、忍耐の概念にいっそう、重視すべき思考が含まれているのが明確である。

「デイアスポラの力」を共著した、ダニエル・ボヤリンは権力に抵抗するに当たって、権力を騙してでも生存するヴァイタリテイが、デイアスポラ共同体で正当化されるエピソードを紹介している。ヘレニズム文化で養われた、男性的、正義感を謳歌する考察とは相反する倫理観である。沖縄手に共通する。

指先を砂に指して刃物のように鍛えた、「貫き手」という業は、日本人から嫌われ、早々と消されてしまったが、そういう業もあったことの証拠が古い形の中に残されている。身体衛生学に反するからという理由で、原典である形まで矯正してしまうのは、必ずしも正しいことではない。

 指先をつぶして刃物にすることが、可能だというのではないので誤解のないよう。それができることを仮想して鍛錬したクリエイテヴィテイに人間の独自性を見ることができるからである。「忍」にはそのような、陰険性もあることで、陰険だからそれを黙殺するのは次元の違う問題なのだと言いたい次第である。

空手は人間の過去と未来を研鑽する上に不可欠な教材であると信じて疑わない。「死」を直面する人間が託した、祈りにも似た生存の願いを、造形美に具象する無形文化遺産だからである。

ぼくが大学の教科で教えるカラテは、於サンフランシスコ・カルフォニア州立大の人文学保健部、キネシオロジー学科である。 主に筋肉、身体物理機能学の実技、理論を教える学科であるが、ぼくは人文学、社会学、人類学、体育学の見地で教えている。

 

             

 

 

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