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沖縄で発祥した無形文化遺産財「手」「カラテ」「空手道」のプロファイル

 

          スポーツと武道との狭間にて

Performing Arts

 

山口 剛正

全米空手道剛柔会本部 主席師範

Chairman, Goju-Kai Karate-Do, USA National Headquarters

 

 

 グレコローマンというヘレニズム思想が、スポーツという、西洋の体育文化を形成する形而上学的な芯であると仮定するならば、日本古代の「魂」を信仰する文化遺産が武道という尚武の精神を形成してきたと考えることができる。つまり、時と文化の違いはあっても、西洋も東洋も、physical confrontationもしくは「人身対決」という行為を正当化しようとする庶民の日常精神生活に「宗教、もしくは精神文化」が影響しているということでもある。

 ヨ−ロッパの西洋文化にはヘブライ文化とギリシアのヘレニズム文化がその源流にある。ジュデオ/クリスチャン/モスレムの三大唯一神教のうち、キリスト教はもともとは、ヘブライ文化遺産でありながら、4世紀、ローマ帝国の正教になったこともあって、政治的な権力を確立して、西洋人の精神文化にグレコ・ローマンの帝国主義思想を植えつけることになる。例えば、原始キリスト教の信徒たちがイエス・キリストを救世主(メシア)、その母親を聖母マリアとして崇め、ヘブライ民族の予言者によるメシア思想を、あたかも、それが地球的環境で普遍的な世界の精神生活を代表する宗教思想かのように普及することになる次第である。

  すなはち、古代のヘブライ文化はキリスト教の名前で、ヘレニズム思想に置きかえられてしまったことになる。これは、日本の神道は元々は外来の宗教だったものが、たまたま、皇室の「守り神」だったが故に、日本古代史に政治的な影響を与えることになったのと似ている。日本国伝来の武道は、皇室を国体の創始者であることを認識、天皇を国体の象徴として崇めることを原則として、各斯道の指導に当たっては、神道を旧日本帝国の政治思想と解釈する旧武徳会の綱領としてその体系に従っていた次第である。

  天皇家を国体とする神道の政治学は、武道という精神生活と間係はない筈なのに、武道と神道と皇室を関係づける戦前の思想が、意外といまだに、とくに、右翼団体の史観に残っている。

 沖縄発祥の「手い」も旧武徳会の綱領に基づいて、「日本伝武道」として認可されたが、従来の皇室を絶対視する思想にはなかった、琉球独自な形而上学的価値観念、「人に打たれず、人打たず、事なきを得る」という独自な「自他共存」を評価する思想があった。これは、ヘブライ思想を日常の生活基準とするユダヤ民族のデイアスポラ共同体で温床され、民族遺産を継承して来た、ラビ・タルムッドの思想に共通する。これは21世紀というポストコロニアリズムの時代にふさわしい感覚であり、日本国伝統「武道」の評価に結びつくものであると信じて疑わない。「武道」という、Way of Life の解釈も新しく評価するべき時が来ているのではないだろうか。

  武道の真髄、もしくはWhat is Budo ?  という疑問に回答を与えることで、カラテと空手道の違いを「定義」する事ができるかどうか、定かではないが、ある種の試みにはなるかも知れないので、愚説をここに言及してみる。

  もっとも卑近な定義は「武道は、見せ物ではないんだ」という表現だろう。

  筆者はたまたま、高校生時代から、文学や演劇を趣味にしていたので、ひとの前に自分を晒す事に慣れていた。公衆を意識して、自分の作品を朗読したり、自分の「演技」を披露することへの、心理学的な抵抗は全くなかった。しかし、カラテの形、組み手、試し割りの演武だけは、気が重くて、好きになれなかった。おかしな表現だが、下着、もしくは、裸体を大衆に曝すような気にさせられたものだ。もちろん、昇段級の規定に従っての「演武」で、審査員の前であれば、そんな自意識を覚えなくすんだが、一般の観衆を前にすると、見世物にされているようで、いやだった。

  どこの流派にも「格式」というものがあって、その派の「形」「組み手」がその流派を象徴するアイデンテテイでもある。だから、それを、正確に習得することが義務付けられ、これを演武するにあたって、真剣勝負と同じほどの緊迫感に耐えるだけの心理学的な耐久力が必要となる。自己存在につながる流派への責任を全うしなければならないのであるから、「遊び」半分での演武は許されない。

  昔、江戸時代の末期に主家を失った「浪人」が、街頭で自得の秘技を、「施し物」目当てに見せる事を恥じたのは、自分が武道家でありながら、自分のプライベイトなアイデンテテイを商品のように売る行為を邪道であると自覚していたからである。

  武道が見せ物にならないのは、武道が演芸、演劇、演舞が持つ、Performing Arts としての体質を兼ね備えていながら、これを、観客に披露するにあたって、形而上学的な自己のアイデンテテイを他人に露出しなければならないという、自意識のためだと思っている。それは、あたかも、自己の宗教儀式を大衆の前に披露するようなもので、精神的な教理を、金欲の為に売り物にすることが、演武者を侮辱する行為に等しいからであろう。武芸者が金銭を目当てに、自分で修業してきた技を、路頭で「見せ物」にすることが、正しくない行いになるという評価ができた次第である。

  筆者は武道の本質には「生死をかけた」対決を神聖化する思想があると解釈している。

 古い言葉でいえば、「真剣勝負」を究極の目標にした感覚である。しかし、沖縄発祥のカラテは「勝ち、負け」の感覚ではなく、相手に討たれず、相手を討たぬ為の(生死をかけた)対立であるから、剣闘を真剣で果たしあう行いとは違う。

  カラテの場合、相手の生命を奪ってでも、勝ちを取るという対決ならば、時間にして

2分間以内に終わり得る。しかし、我が身の生命を守り、しかも、相手の生命も護る対決となると、闘争は一時間も二時間も続く事にならざるを得ない。肉体的にも、精神的にも、数時間にも及ぶ対戦を賄い得る、耐久力を養わなければならないということである。

 

 昔の合戦では、武士は走れなくなった時が「死ぬ」時だと考え、合戦中、終始全力で走り続ける訓練をしてきたものだといわれる。必要な限り走り続けられるだけの耐久力があるというのは、武道、スポーツ競技の違いにかかわらず、闘争の基本的な必修条件であろう。しかしながら、武道の真髄はスポーツとは異なり、競技の勝ち負けを査定するルールに基づいて、コンテストに勝つことではなく、自分が殺されるかも知れないという事態に遭遇して、如何に自分を守るか、もしくは、自己の安全を期して、相手を倒すか、生かすかという状況における「対決」に必要になる体力と知性を訓練することである。

  カラテという体術を「生死をかけた」対決に応用するには、その技が効果的であるように、自分の身体を心理学的に、精神的に、肉体的に訓練することが肝要である。その訓練の体系を、青少年に指導する為の「教材」にすることに意義ができる。さらには、この教材の思想を伝搬することが、新世紀の地球という環境に住む全人類の共存、「多文化共棲」の社会学的な思想を肯定することになるのであるから、そのメンバーとなりうる人格を造り上げる「哲学」もしくは「思想」に等しい。これが、未来に投射された「武道観」の理想的な基本的な教養に結びつくのではないかと考える次第である。

  問題はこの人間相互の対決という教材が、果たして、西洋で発展した体育教科であるスポーツマンシップの知性にもとずいた、「競技」に同化されうるかどうかということである。生死を賭けた対決を、競技化するということは、徒競走のスピードや、重量挙げの力のレース(競争)をすることとは違って、優劣の判決の方法如何では、競技化すること事態が弊害になってしまう怖れがあるからである。

  青少年に、人間同士の「力の対決」を、勝ち負けで判定するという、姑息な感覚を植え付けることの是非を再考しなければならない。「力の対決」を競技化することで、社会学的に、道義的に、人道的な価値観念を間違って教えてしまうかも知れないからである。「勝つことを」価値付けた観念。競技なのだから「勝たねばならない」という、単純な価値評価は「多文化共生」を目標にする共同体には不条理となる可能性がある。

  人間は誰でも、他人に勝ちたいと願う欲望を持っている。しかし、社会学的には、個人的な勝利が、その個人の政治的な立場を危険にする場合もできるだろう。沖縄の方々はそれを、自然的な環境、政治的、社会的な実生活で、習得してきた次第である。

 沖縄発祥のカラテには「勝ち、負け」を評価する感覚はない。各派の祖が自由組み手を奨励しなかったのもその証拠である。

 今ひとつ、心理学的な副作用かもしれないが、負けたと意識した時に作用する「敗北者」の自覚が及ぼす抵抗、だれもが嫌がる、不健全な自意識である。敗北者(ルーザー)のレッテルを嫌って、自己否定もしくは「自滅」の心理状態との葛藤を味わうことにもなる。自決を正当化する思想すら成文化される次第である。「生きて俘虜の辱めを受けず」という、旧帝国軍人の「戦陣訓」は、実戦の経験のない若い将官が、自決を美化して解釈する危険性があった。「ひめゆりの塔」「健児の塔」の犠牲者たちは、美化された「思想」の被害者だったとのではないか。

  昭和初期から第二次世界大戦の敗戦まで歌われた軍歌に「天に代わりて不義を打つ」の一句で始まる、軍歌があった。この「不義を打つ」という感覚であるが、これは、絶対的な「善」を個人が代理して、絶対的な「悪」を討つという神命を受けて、これを成すという意味であるから、日本人本来の心情というよりも、グレコ・ローマン的なキリスト教の思想に影響されているように思われる。日本人には敵対する相手を「仇」という相対的な「悪者」とする感覚はあっても、「悪魔」という絶対的な「悪」は実在しなかった筈なのである。

  新世界を呼称、自由の土地を自分の手で開拓して、私有財産を築き上げるという、西洋人の夢をかきたてられて、アメリカ合衆国に移民してきた開拓者たちは、先住民を社会政治的な文化がないことを理由に、(もしくは、原住民の皮膚の色が濃いので、)彼らの人権と財産を認めずに、我が物にしてしまった。キリスト教には彼らの「神」の「申命」に従うことを「正義」と考える訓練があるから、他人の土地に侵略してきている認識はなかったのではないか。

 だから、火器を所持して、自分の生命と、自分が開拓した土地を守るという「自己防衛」の精神は、西洋人の正義感に結びついて、自分を守るためには、自分を犯すものを殺害することさえ正当化された。沖縄の斯道の先覚者たちはが、「人に打たれないよう」に身を守ることは正当化したが、「人を打つこと」を否定したのと、根本的な違いがあるといえる。

  皮肉な話であるが、米国合衆国では今世紀にいたるまで、一般市民が他人を殺しても、その行為が、わが身を守るためであったことが立証されるならば情状酌量される。同国市民の火器保有権がで社会問題にもなっていることを考察しなければならない次第である。基本的人権が平等であることを主張する市民生活にあって、市民相互間の暴力行使を自由、平等化することは、感覚的には納得できても、人類の暴力の歴史を考慮するならば、即刻その対策を検討されるべきである。暴力の行使は仮にそれが自衛の結果だったとしても、理論的には暴力そのもの、すなはち、暴力の行使を触発させた動機の如何にかかわらず、自己以外の者を致死、傷害できる権利は、いかなる市民といえども、皆無であるはずである。

  カラテに限らず、ボクシング、レスリング、フェンシング、柔道、テコンドウ、という格闘術は、これに熟練したもの達の知性、感覚、生理学的、心理学的な心身の状態次第で、凶器になる。上記のアメリカの社会問題で、火器を家庭に保管できる法律を支持するものは、「銃には意思がない。これを扱うものの責任である」ことを強調する。だから、「正しい銃の取り扱いのできる、所有者を養育することで、銃による暴力を制御できる」と、強調する。事実はその逆である。アメリカの社会で頻繁に起こる「無差別傷害の事故」は今世紀に至っても制御されていない。この種の事故は、銃の保有を制御しない限り、なくならないであろう。

  すなはち、銃と言う器具に、これを使用する所持者の動機の誤りを正す機能があって、動機次第では、引き金を引いても、弾丸が発射しないという、安全装置のメカニズムがない限り、銃を所持する権利には、法的な資格が定められなければならない。だから、上に紹介した格闘術は、これを実用するにあたって、相手の身体に危害を加えた場合、当然、暴力になりうる。しかし、琉球で温床された「手ぃ」は、凶器にしないための訓練がその練習法に含まれているがゆえに、凶器になりえない。それはあたかも、安全装置仕掛けの銃のように、相手を倒さないというメカニズムが要求されているからである。

  空手家はこれを「寸止め」と呼ぶ。

  すなはち、後、日本列島の大和民族は「一拳必殺」という言葉で、カラテの威力を表現したとうり、正拳を例に挙げれば、正拳のひと突きで、人を殺すことができるほど効果があるのであるが、沖縄の先人は、練習中、それだけの威力のある「拳」を対主の身体の一寸前で止める訓練を主張した。当たれば即死だが、その「突き」の目的は当てるのではなくして、標的の寸前で静止するか、突いた拳を引き手の位置に戻す状態にすることを強調するのである。

  これが、「人を打たず」の実例でありメカニズムである。

「人に打たれず、人打たず」は、しかして、思想的な教訓だけではなく、習得されるべき技の中に実技として体系化されているのである。だから、「拳闘(ボクシング)」のように、相互が打ち合う格闘技とは根本的な相違がある。カラテの拳は、巻きわらで拳を鍛えてあっても、組み手では、いかに緊迫しても、これを、相手に接触させないことを第一条件にするから、突き業ひとつを取ってみても、業の制御の美的感覚を観察することができる。蹴りも同じである。相手の胴着に接触しても「寸止め」ができているから、相手の身体に当てて、相手を昏倒させる蹴りと比べて、質的な効果を鑑賞できる。すなはち、日本国の弓道に観測される、型の美が業の質を高邁にするという価値感覚である。たとえば、射た矢が標的に当たるという事実よりも、弓を射る形の造形美に業の質を評価する感覚の美術性にある。ということは、空手道は身に寸鉄を帯びずに、闘争するおこないを、知性を駆使したクリエイテヴィテイ(創造感覚)に基づいて、 規定された「鋳型」の体術だといえる。型に備わった美的な動きが独自のものである。西洋ではこれを、Performing Arts (観演美術)と名づける。

   武道としての空手道は見せるものではなく、競技としてのカラテは観客を動員してのスペクてイターを前提にしたパフォーミング・アーツ(performing Arts) であるから、同じ演武でも、演武の体質が違う。空手道の組み手と形を観客の前で対抗する場合、審査の規定に従って演じる技術は、バランス、スピード、タイミング、技の破壊力、技の調和が制定されていること、標的に確実に達していても、「寸止め」による、正確な制御技で決まっていること等、高等な技量が要求されるべきである。審査を簡単にする為に、有効技を制限してしまっては、沖縄伝来の複雑、多様な技が全部なくなってしまうのは時間の問題であろう。拳で当てれば、致死の威力がある技を、一瞬の判断で、開手技にするという技量も、人に打たれず、人を打たずの価値観念に繋がるというものである。要は危険な業を禁止するのではなくて、その業を応用するものが、とっさの機転で、相手を保護するという業の変化に長ける機能を会得するべきことではないか。

 格闘という体術に、コントロールという制御の「創造美」を備えた空手道が身体美術である所以である。この体術を形而上学的な思想として、青少年、成人教育の教材にすることが、武道の目標である。

 果たして、カラテを競技化することができるか!? 

 対決者の生死を懸けた素手、素足の格闘を遊戯化して、これを動員された観衆の前で公演するという、大衆文化行事は古くはギリシアの古代オリンピックの行事を筆頭に、古代ローマ帝国時代の一連の剣闘士GRADIATORS祭典にも残されている。人間同士あるいは人間対猛獣の死闘を、観客の娯楽として奉仕するという文化は、西洋史の文献、遺跡にも残されている。徒競走に始まって、人間同士の肉体、体力のコンテストは、西洋ではスポーツ行事というカテゴリーに残されているから、東洋文化の「武道」も、見かけの行事から察して、その競技化は可能であるはずだった。

 1945年、第二次世界大戦終終了後、大日本帝国武徳会傘下の通称「武道」の各斯道は、マッカーサーの占領政策のパージ(粛清)の対象に触れ、活動停止の処分を受ける可能性があった。初等教育の教材でもあった、柔道・剣道・弓道とともに、空手は軍国主義、ファッシズムを青少年に養育するものだと危険視されるにいたって、斯道を存続させてもらうためのスポーツ化が唱えられた次第である。当時の文部省傘下の体育協会を都道府県を中央集権化する体育組織体が上記「武徳会」に替わり、各流派ごとに組織されてきた空手界に、「拳の壁を破って、技の統一をする」という、流派の大同団結の標語が掲げ上げられた。

 

戦後20年間の復興期は、敗戦という挫折感、旧政治体制崩壊による、パラダイム・シフト、さらには、戦勝者ならびに西洋文化体制に同化すべしという、社会思想が混乱するなかで、空手家を任じる指導員たちは新しい体制の中で斯道を如何に維持するか悶々とした時期でもあった。空手は武道の中でも最も歴史の浅い体道である事が、その体系を改造しようとする日本国本土の愛好家たちにとって、良い意味でも、悪い意味でも幸いしたものだ。何故?

  沖縄本島は鹿児島県の南西、約千キロにわたり、連なる、南西諸島にあり、地理的には東シナ海中の台湾近くにまで至り、歴史的には1609年日本の薩摩藩の侵略を受けて以来、日本国の植民地的な領土とされ、その後、明治政府のもとで、強制的に日本帝国に組入、1879年をもって日本国沖縄県にされるという独自な政治的、文化的な歴史がある。したがって、地元で「手い」と呼ばれた、体術文化遺産は日本国本島のものから、カラテ(唐手)と呼ばれ、エキゾテイズム(異国情緒)の感覚を備えるユニークな外来文化遺産としてのイメージを特色にする時代があった。

 空手道は、19375月、日本帝国武徳会に日本伝武道として認可されるまでは、「唐手拳法」という武術として日本国本土に紹介された。この普及化に貢献したのは、沖縄出身の諸師範に直接、指導を受けた、関西、関東の大学空手道部の学生たちであった。当時のカラテ道場は門外不出の練習法に徹して、流派の格式、綱領、規定にのっとるもので、他流試合は厳禁されていた。しかし、学生たちは、これを相互に公開しあい、すすんで、交換練習を始めたものである。

 京都帝国大学の柔道部が1928年に沖縄在の宮城長順師範を招聘して、演武会催したのが古い記録として残されている。カラテを日本本土に伝播するに当たって、各大学の柔道部が貢献したという事実は、意味深い。俗称、少林寺拳法は古い中国拳法で、江戸時代に輸入さてた「柔術」の母体であったからである。

 沖縄には中国拳法が伝来する前の「手ぃ」があり、独自な体道が温床されていた。内地の学生たちは、伝統的な形演武、約束組み手の訓練だけでは飽き足らず、柔剣道、相撲の練習法を真似、沖縄在の先覚者の戒めを軽視して、チョッパーもしくは自由組み手と呼ばれた実戦組め手を考案し、沖縄在の先覚者たちの憂いにも関わらず、斯道の普及、近代化にこれ努めた。

 沖縄の師範方がこの動向を、戒めだけで、学生たちを懲戒処分にしなかったのは、大和民族を任ずる本島の日本人に対する遠慮があったことは間違いない。学生たちは、自分たちだけで勝手に自由組み手に熱中し、これを他の空手部と混じり、交換稽古と称して、公開演武も始まっていた。たまたま、国中が満州ほか各地の植民地を確保するために西洋諸国と並んで国防体性の軍国政治の渦中のことである、武道を学ぶものは当然、これを、戦闘的な体育訓練と自認していた。

 そして敗戦を招き、愛好する斯道の存続すら保障されない占領下にあって、伝統文化の保存にはその体質を西洋文化に似せて改善することが、改革的な新感覚であることを自覚して、「武道」という言語を含めて、旧帝国軍国政策に関与する主義主張を否定、

デモクラシーの名目で、教育、憲法、日常生活を西洋化することを推薦したのも大学の教授、学生たちだった。

 空手部の存在する関東、関西の大学の学生たちは「精神訓練」という修身教育を排撃、西洋文化のスポーツマン・シップを求めて、各流派に残された伝統的な格式を退け、進んで、組み手の競技化、さらにはこれをチャンピオンシップ(選手権大会)への組織化を始めたのも各大学の空手部学生であった。マッカーサーの占領政策と各大学の空手部の学生と、たまたま、その路線が並列していたのは、その時点では幸いした。

 たとえば、立命館大学(剛柔流)と拓殖大学(松涛館)の空手部との間の、交換稽古は戦前から始められていたから、戦後、両大学の空手部が復興するに当たり、両空手部の学生は恒例の演武交換稽古の行事を再開していた。上記の大学以外でも、関西では糸東流の同志社大と関西学院大、関東では、早稲田大学(松涛会)慶応大学(松涛館)、和道流の、東京大学、日本大学、明治大学等々の諸空手部が各自に交換練習と称して、演武会を催していた。同じ松濤館でも先輩が「鉄屋グループ」と空手協会のグループでは形と組み手に違いがあり、同じ松涛館でも松涛会は自由組み手を許可しなかった時代がったから、同じ流派でありながら、「形」や「組み手」の競技を一堂に会してすることすらできない状態だった。

  従って、交換稽古は相互の形、組み手を見せ合うという演武会でもあり、自由組み手は勝敗を規定するルールのない、文字どうりの自由な乱取りを相互に試しあう交換稽古も企てていた。もちろん、寸止めの規制を前提にしての交換稽古だったが、各大学の組み手は、その「間合い」から、突き、打ち、蹴り、投げの技は違い、「当てるな」「当てるな」と叫び合いで行われた「組み手」の交換稽古は惨憺たるもので、骨折、脱臼、鼻は折れるという怪我は当然ながら、手の平の、中指と薬指が二つに裂けるという、重傷者まで続出したものだ。

 当然、大学関係者の空手部では、果し合いのごとき組み手ではなく、競技化された組み手の体系の研修がはじめられ、競技化の為の審判、規約、選手権大会の一本化、統一化を促進するために、関西・関東別の大学空手部連盟なるものが組織つけられた。現在の学空連の前身である。

 空手を媒体にして友好的な人間関係を作り上げようという社交的な価値評価が「武道」というかび臭い旧習を嫌う新しいスポーツマンシップに価値を見出そうとした戦後の学生たちは、武道を競技化することの弊害に気がつかなかったのは、無理のないことだった。彼らは進んでスポーツ空手を新時代の夢にしたものである。かくして、国を挙げて、中央集権化された選手権大会である国体に空手を傘下団体とするために、流派を解体、業の単一化、形の統一化、理想化された次第である。その結果、競技のルールを作る過程で、組み手も形も、技は簡易にされてしまい、各流派の独自な形も技も取捨選別されてしまう結果となる。

  現在残されたスポーツカラテの組み手も形も、伝統的な沖縄の形、昭和10年代の組み手とは全く違ったものになってしまい、(スポーツカラテに専念されている)各道場には、昔あった、ローカルの独自な形も組み手もなくなり、沖縄伝承の日本国無形文化財である筈の独自な体術が見る影もない。

  競技のスポーツの対戦は競技者の肉体的な安全性が第一義となる。身体障害になるような要素やルールや思想は、徹底的に粛清しなければならない。しかし、カラテの技が

危険なのは当然なのであるから、これを、防止する為に、技の種類を省略、防具の考案、判定の簡易化を図って、斯道の文化的独自性を失うことがないことを第一義するべきではなかったと、反省する次第である。如何ほどに危険が伴っても、「寸止め」の技は参加者が必ずマスターする訓練を保つこと。当てては危険だからという理由で、本来の技に必要な、業のスピード、衝撃、破壊力失わせるような、ルールは作るべきではなかった。特に、その制御力を庇う為の、防具の着用は、斯道の独自性を失う結果とは相成ったと思う。カラテは仮に競技であっても「遊び」にしてはなるまい。防具を着用して当てあう突き、蹴りの競技は、カラテが持つ緻密な、ぴちっと決まる技と力を蔑ろにするからである。

  いまひとつ、日空連創設を準備する為に当たって作った、試合規定、審判規定

は一日も早く国体に参加したい為に作った(即席な)「規定」だった。根本的に改正しなければならない不完全な「規定」でもある。いまさら、改訂を進言しても聞き得れてもらえるかどうかは疑問ではあるが、オリンピックという国際的な催しに、日本国伝統、国技としての「空手道」の名称で採用されるに匹敵されるかどうか、疑問に思う。

 

この稿を書き出す少し前、本年5月29日付け、IOC 理事会で2020年の夏期五輪の新競技の選考が行われたのは周知のことである。「カラテ」は、また、最終候補の三競技にさえ残ることができなかった。筆者が興味深く思ったのは、本年2月の理事会で、「レスリング」という、古代グレコ・ローマン文化を代表す種目が近代オリンピックから除外されることになった こと。それにしても、「テコンドー」が残されたのは、皮肉な現象である。「カラテ」が採用にならなかったことについては、 悲観はしていないつもりである。オリンピックを目指している WKF の現在の審判規定では、オリンピックというスポーツ祭典のルールとしては、少しお粗末で、魅力ある沖縄伝統のヴァラエテイに富む変化技を屈指した競技の体 質は造り上げられないというきもちがあってのことである。

 「突きは1点、中段蹴りは2点、上段突きは3点」としたり、「8ポイント差」を制定しているそうだが、競技の体質そのも のが変わってしまっていることを懸念するものである。まず、10年間程の時間を費やして、「寸止め」の徹底した技の習得からやり直す必要があるのではないか。

  昔あった、手刀、背刀、開甲拳、貫手、裏拳、指狭、鶴頭、底掌、猿臂の手、腕技に足刀、踵蹴り、を用いた、後ろ蹴り、二枚蹴り、三角蹴りの飛び技、膝当ての当て業、更には各種各様な投げ 技も復活して、防具を付けずに、寸止めの技術を駆使して体術にすれば、審判方法もそれに従って、複雑ながら、魅力あるものになると信じている。

 オリンピックは政治的な INSTITUTION になっている昨今、スポーツを振興する団体だけでは国際政治の諸問題を解決することはできない。個人的には、オリンピック種目になることが果たして斯道の為になるかどうか、疑問もある。あまりにも、政治化された興業団体になってしまっている現状を杞憂してのことである。

 サンフランシスコの市長が意識的にオリンピックの開催を 否定したことさえある。アマチュア・スポーツの祭典とは、夢物語になりかかっているのではないだろうか。とは言うものの、100歩譲って、オリン ピックに、なにがしらの希望を持っている関係者もいることだから、カラテがオリンピックの種目に採用される可能性について、その案をここで紹 介してみよう。

  現在の WKF の政治力では IOC の理事会を説得できかねる。WKF で促進されてきた組み手、形の体系が固まってしまって、これを、変革するには10年以上の時間が必要になるだろう。筆者が考えるのは二つ、カラテの名称 でオリンピックに入るのは諦めて、Martial Arts として、北京オリンピックで試挙されたカテゴリー、「極東部」にカラテ、テコンドー、中国の「武術」を別々に独立した種目を作ることである。テコンドーの師 範方は昨今のテコンドーにしてしまったことを、後悔されていらっしゃるはずである。最近また人気の出てきた、「少林拳」の関係者の間ではオリンピック参加 に積極的のようであるから、話し合えば、カラテを含めた、「マーシャル・アーツ」の部門で、全く新しい「体技」種目、国際的な話し合いで、できるかもしれない。中国の経済が伸びつつある。文化経済のプロモーションに余念がないようなので、それに、便乗することも可能ではないかと考える次第である。

 まひとつ、近い将来、那覇市で夏期五輪を開催する旨、IOC に提案してみること。時間はかかるだろうが、一旦、開催国の HOSTING CITY になれば、沖縄のカラテ団体が結束して、相手を傷つけない、理想的な「体術」の競技の見本を披露することで、新しい「手い」のスポーツを紹介できるという ものである。

  オリンピックという国際的な体育祭典に参加できる程の体系を作るならば、まず、その審判規定と審判員の技術に今ひとつ、その向上を図るべきである。防具を使用して、 怪我を防止しようとしたテコンドーの失敗は、防具、判定器具に終始したため、 肝心要のテコンドーの優秀な体技を破壊してしまったことだと思う。空手道も参加できる選手の技術の向上に専心して、武道としての空手道の技を採用して、昔の独自性のあるカラテに戻すべきではいか、と思っている。

  たとえば、試合コートひとつをとっても、なぜ、四角の方形でなければいけないのか。四人の副審に固執しなければ、円形でも良いはずである。組み手の「間合い」に一定の間隔があり、フェンシングのような前後に動くフットワークに限定せずに、左右、円形のコマのように回転しながら360度いずれの角度からの、独自性のある攻守があっても良いのではないか。主審ひとりで、四人の副審による方形でのコートでの判定以外に苦心があってしかるべきだと思うのである。

  試合の判定に使う電動式器具の応用は一考の余地があると思う。フェンシングやテコンドーが採用している、掲示板に標的に当たったかどうかの明かりが付くのは、剣や拳の先が標的に当たったかどうかを査定するだけで、有効打を確定する検査とはなりえないからである。レーザー・ビームを採用して、突き、蹴りの正確さ、と衝撃の精工さが確実に測定できる器具を開発すべきであろう。

  有効打を認識して、主審がコンテストを一時中断するという審判規定も再考する余地がある。1分間、2分間、3分間の規定のなかで試合を中断することなく、有効打を主審、副審のそれぞれが得点の記録をして、所定の間隔で、これを合計して優劣を判定するという方法を使用しても、将来のためになる筈である。防具は全く着用しないか、最低限にとどめて、選手の高度な制御力の質を高めること。突き、打ち、蹴りという攻撃技は相手の防具に当てるという行為ゆえに、技の切れがなくなってしまうというもである。

 

 昭和10年代の各流派では自由組み手の間合いが違っていた事は、すでに、指摘した。それは、松濤館と和道流の場合は、5本組み手、3本組み手、一本組手という「約束組み手」を改良して、前後に動く、直線的な運歩を自由組み手にしたこと。剛柔流では実践を想定して、対手の腕の長さの「間合い」で突き、蹴り合う組み手で、くるくる回る独楽のような組み手も応用していたから、戦後の競技用の「組み手」とは違っていた。短い間合いの組み手の「効用」がなくなってしまっているのではないか。

 

 自由組み手は、昔は、もっともっと、複雑で、多様性のあるものだったのである。

  次に「形」の競技だが、ここでも従来の「多様性」がなくなっている。「教材」の形は、数が多い程、「演武」とその審判に変化ができてくるもだろう。パフォーミング・アーツとしての競技は、フィギュアー・スケート、体操競技と同様に、もっともっと、「形」を採用して、各流派では異なっている各様な「形」を自由に選択できることが肝要である。新規な将来の案であるが、演武者が自分でこしらえた、「形」を「自由形」のカテゴリーで披露することだって考慮できるのではないか。英語のCREATIVITY( 創造性)という表現のある、コンテストを目的にしたパフォーミング・アーツだから、テーマの選択は出場する選手に一任しても良いはずである。

  これを審判する為の演武規定、採点規定は複雑で高質な技量が要求される。

 その感覚が受け入れられれば、これを「組み手」のコンテストに採用して、「形分解」を数人のチームで演舞して、他のチームと対抗するというカテゴリーも可能性がある。競技、もしくは観衆に見せる演武ならば、音楽を使っても良いし、観客を楽しませる為の、興行的な知的センスで、今行き詰まっているスポーツ競技、エンタテインメント を目的にした 娯楽用のカラテだってできてくる筈である。

 むかし、リズム・カラテというカテゴリーがあったが、これも、将来の可能性のひとつである。義務教育の為の教育「教材」、武道としての「教材」、リクレーションとしての「教材」の違いは、それぞれの、師範、組織、インストチュウションではっきり、区別されるべきであるが、パフォーミング・アートとしての斯道の将来の可能性は多様である。

 

 

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